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ジミー・ペイジと広島
#ジミーペイジ #広島 #原爆

ジミー・ペイジという人物を語るとき、多くの人はまずギター、サウンド、神秘性、そしてレッド・ツェッペリンの圧倒的な存在感を思い浮かべるだろう。けれど彼の足跡をたどっていくと、音楽そのものだけではなく、歴史の記憶と静かに向き合おうとする姿勢も見えてくる。その象徴のひとつが、広島との関わりだ。

ペイジは1971年の初来日時に広島を訪れ、その体験が「心に強く訴えかけるものだった」と後年あらためて言葉にしている。そして2015年、戦後70年の節目に44年ぶりに広島を再訪し、平和記念公園の原爆慰霊碑に献花した。報道では、この再訪は本人の強い希望によって実現したとされている。単なる観光やプロモーションの寄り道ではなく、自分の中に長く残り続けていた記憶の場所へ、もう一度足を運びたいという意思がそこにあったことがうかがえる。

2015年の訪問時、ペイジは1971年に広島で公演を行い、その収益を広島市を通じて原爆犠牲者に寄付したことにも触れている。また、「あの時、起きたことは、世界全てが忘れてはならないことです。心から平和を祈り続けたい」と語っており、広島を歴史上の出来事としてではなく、人類全体が記憶すべき問題として受け止めていたことが伝わってくる。

もちろん、ジミー・ペイジが広島原爆について政治的な発言を繰り返してきた人物かといえば、そういうタイプではない。彼は論客ではなく、あくまで表現者だ。しかし、だからこそ重みがある。大声で主張するのではなく、長い年月を経ても再び広島を訪れ、慰霊碑の前で頭を下げ、平和への思いを語る。その行動そのものが、彼の関心の深さを物語っている。これは派手なメッセージではないが、非常に誠実な態度だと思う。

レッド・ツェッペリンの音楽には、しばしば神話性や破壊力、時代を超えるスケール感が語られる。一方で、ジミー・ペイジが広島に向けたまなざしは、その対極にある“記憶”“祈り”“静けさ”を感じさせる。巨大な音を鳴らしてきたロック・ギタリストが、歴史の傷跡の前では言葉を選び、敬意をもって立つ。その姿には、音楽家としてだけではない、一人の人間としての品格がにじんでいる。

ジミー・ペイジが広島原爆にどれほど深い思索を重ねていたのか、そのすべてを私たちは知ることはできない。だが少なくとも、広島で受けた衝撃を44年経っても忘れず、再びその地を訪れ、世界が忘れてはならない出来事だと語った事実は残っている。そこから見えてくるのは、過去の悲劇を遠い歴史として処理せず、自分の心に刻まれた記憶として持ち続けたジミー・ペイジの姿である。広島への関心とは、知識の量ではなく、忘れないという態度そのものなのかもしれない。

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